ティーダ出版譜でみるベートーヴェンの世界

みなさま、あけましておめでとうございます!
今年も1年、どうぞよろしくお願いいたします。

さて、今年2020年は音楽界にとってお祝いの年になります!
そう、ベートーヴェン、生誕250年!!!
250年前にベートーヴェンが生まれたと聞くと、案外最近のような
でもやっぱり昔のような…

ということで今回は、めでたく生誕250年を迎えた楽聖・ベートーヴェンの生涯をティーダ出版譜とともに覗いていきます!

その前にまず…ベートーヴェンってどんな人?
現代に伝わるベートーヴェン像はこんな感じ↓↓

…と素晴らしい人であるだけに数々の逸話?言い伝え?があるベートーヴェン。
人物像を把握したところで、いよいよ彼の一生を覗いてみましょう!

1770年ドイツ・ボンに生まれる
ベートーヴェンの誕生日は12月16日ごろ、とされています。
というのも生まれた日の記録がなく、12月17日に教会で洗礼を受けた記録が残っていることから、恐らく16日ごろに生まれたであろう、という推測がされているからです。
1787年モーツァルトと出会う
ウィーンへ行きモーツァルトと対面するも、母が危篤との報せを受けボンへ。その後母が亡くなり、父はアルコール依存症に…この時16歳のベートーヴェンは数々の仕事を掛け持ちし家計を支え、幼い兄弟の面倒もみていました。
1792年ハイドンに弟子入り
ハイドンに認められ弟子入りするも、後年ハイドンに対して「私は確かにあなたの生徒だったが、教えられたことは何もない」と言ったとか…
1795年三重奏曲(Op.87)作曲
2本のオーボエと1本のイングリッシュホルンによる作品。トリーベンゼーというオーボエ奏者の影響により、ベートーヴェンはオーボエに興味を持ったそう。翌年には2本のヴァイオリンと1本のヴィオラによる弦楽版に本人が編曲、時を経て1825年にはロンドンの出版社からフルート3重奏版が出版されました。ティーダではこの楽曲をホルン3重奏でお楽しみいただける編曲版をお取り扱いしております。
ホルン3重奏版/西内真幾編
難聴の悪化
20代後半頃から、持病の難聴が悪化していたようです。この悪病が、ベートーヴェンを生涯苦しめることになります。
1799年ピアノソナタ第8番『悲愴』作曲
『悲愴』というタイトルは当時から残されており、ベートーヴェン自身の発案、もしくは了承があってのタイトルだと言われています。ピアノソナタの中で初めて高い評価を受け、彼の名声を高めるきっかけになった楽曲の1つです。
フォルテピアノで始まる序奏、そして緊張感ある第1主題が印象的な第1楽章、穏やかな曲想が人気の第2楽章、元々はヴァイオリンとピアノのための作品としてかかれていたロンド・ソナタ形式の第3楽章それぞれが今も根強い人気を誇る作品です。

吹奏楽版(第2楽章)/前田卓編
金管バンド版(第2楽章)/岩村雄太編
フルート3重奏版(第3楽章)/朴守賢編
クラリネット4重奏版(第2楽章)/松石佳奈編
インターチェンジャブル4重奏版/前田恵実編
ピアノソナタ第9番作曲
前作の『悲愴』とは打って変わって簡素なつくりのピアノソナタ。弟子のシンドラーによる「最も内容の豊かな優れたものであるにもかかわらず、あまり一般に認められない曲」という言葉も遺されています。ベートーヴェンは後にこの作品を弦楽四重奏にも書き換えています。
ベートーヴェンが生きていた当時はピアノの改良が盛んにおこなわれており、強弱の表現の幅が広がったり、鍵盤の数が増えたりしていました。そのためベートーヴェンのピアノソナタからは当時のピアノの様子を知ることができます。ピアノ作りの職人であったシュトライヒャー夫妻に、直接改良の要望を伝えることもあったそうです。
木管5重奏版/松山千紘編
1801年バレエ音楽『プロメテウスの創造物』作曲
ベートーヴェンは生涯に2つのバレエ音楽を遺しており(もう1作は『騎士のバレエ』という作品ですが、作品番号は付けられていません)、初演は好評を博したと伝えられているものの、現在は序曲しか演奏される機会がありません。この後にかかれた『交響曲第3番』や『エロイカ変奏曲』に終曲のメロディが転用されていることでも知られています。
この時ベートーヴェンとタッグを組んだのが、イタリア人振付師のヴィガーノ。ヴィガーノはこの作品の初演後、ミラノ・スカラ座のバレエ学校教師となっています。
吹奏楽版/山口哲人編
1802年ハイリゲンシュタットの遺書
難聴への苦悩、そして彼自身の願望を記した、甥カールと弟ヨハンに当てて書いた手紙。ベートーヴェンが亡くなった後に発見され、その後公開されました。
しかしこの後もベートーヴェンは精力的に作品をかき進め、「傑作の森」と言われる名作を多数生み出す時期に入っていきます。
1803年交響曲第3番『英雄』作曲
この『英雄』というタイトルについては諸説あり…という話は石原勇太郎氏による連載、「吹奏楽で聴くクラシック音楽」で詳しく解説いただいたので、興味のある方は、そして興味のない方もコチラよりご覧ください。
第2楽章に葬送行進曲、第3楽章にスケルツォを取り入れるなど、これまでの交響曲の常識を覆した、革新的な作品でした。交響曲第9番の作曲中、「自作でどれが1番出来が良いと思いますか?」という問いに対して、ベートーヴェンは即座にこの第3番を挙げたとも言われています。
吹奏楽版(第1楽章)/宇田川不二夫編
1807年『コリオラン序曲』作曲
ベートーヴェンが友人の戯曲『コリオラン』を観たときの感動からかかれたとされる、演奏会用序曲。戯曲は古代ローマで大きな勢力を持っていたものの政治上の意見の相違で追放されたコリオランが、隣国の将軍となり大軍とともにローマへの進攻に参加。しかし、妻と母の献身的な忠告で再び祖国側についたので殺されてしまう…というストーリー。同時期に交響曲第4~6番やピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲をかいている多忙な中、この作品を一気にかき上げたと言われています。
吹奏楽版/山下弥生編
1808年交響曲第5番『運命』作曲
「最初の4つの音は何を示すのか」という問いにベートーヴェン自身が「このように運命は扉を叩く」と答えたことから『運命』と呼ばれますが、現在ではこの逸話の信ぴょう性が問われつつ…も、『運命』と呼び続けられています。交響曲第3番『英雄』の完成直後にスケッチが開始されましたが、先に第4番の完成が急がれ、交響曲第6番『田園』と並行しながらかかれました。初演の際はこの第5番と第6番が、タイトルが入れ替わって(第5番は第6番として、第6番は第5番として)演奏されました。またこの演奏会ではほかにも多数の楽曲が演奏され、演奏時間は4時間を超えたことやその他の不手際により、初演は失敗に終わりました。
金管バンド版(第1楽章)/岩村雄太編
1810年『エグモント』作曲
ゲーテの戯曲のためにかかれた劇付随音楽。現在では序曲のみが演奏されることが多いですが、実はこの序曲、初演には間に合わず、4回目の公演から演奏されるようになったそうです。その他にソプラノ独唱を含む9曲作曲されており、演奏の難易度はとても高いです。
物語のストーリーは、オランダに実在したエグモント伯爵がモデルになっています。16世紀にスペインの支配下に合ったオランダ民衆がエグモント伯爵を先頭に独立運動をおこしますが、伯爵はスペイン軍にとらえられ、死刑宣告を受けます。刑を待つ伯爵の元へ恋人が女神となって現れ伯爵を勇気付け、「自分の死は無駄にはならない」と伯爵が意を決し刑場へ向かう…悲劇の物語です。
吹奏楽版/山下弥生編
『エリーゼのために』作曲
ピアノ独奏曲として名高いこの作品ですが、”軽やかな小品”を意味するバガテル『エリーゼのために』もしくは通し番号により『バガテル第25番』と言われることもあります。タイトルにもなっている「エリーゼ(Elise)」ですが、本来は「テレーゼ(Therese)」であったのではないか、というのが現在の通説です。実際テレーゼ・マルファッティという女性の書類からこの原稿が発見され、彼女とベートーヴェンは恋仲にあったとのことで、悪筆、もしくは解読不能など何らかの原因により、「エリーゼ」として世界中に広まってしまいました。(※諸説あります。)
金管バンド版(第1楽章)/岩村雄太編
全聾になる
この頃、ついにベートーヴェンは全聾になってしまいました。
1811年『アテネの廃墟』作曲
第4曲「トルコ行進曲」が有名な、序曲と8つの楽曲から成る劇付随音楽。1811年に行われるハンガリー・ブタペストに新設された劇場のこけら落としとして作曲されましたが、開場が遅延されたため翌年の初演となったそう。その後あまり演奏されることはなく、ベートーヴェンはこの作品のことを「気晴らしの小品」と呼んでいたそうです。
物語は2000年の眠りから目覚めた知恵の女神・ミネルヴァが、トルコの支配により荒れ果ててしまったアテネの惨状を目の当たりにする場面から始まり、争いを逃れた他の女神たちを追ってハンガリーのペストへと旅立ちます。ペストでは芸術が花開き、新しいアテネへと蘇ってゆくストーリーが描かれています。
金管バンド版(トルコ行進曲)/岩村雄太編
1813年交響曲第7番作曲
全作交響曲第6番『田園』から3年の月日を経ての完成。戦争により生活が苦しくなったこと、自身の体調の悪化、そして先出のテレーゼとの破局など様々な境遇を乗り越えてかかれた作品です。各楽章を通じて使用されるリズムが印象的な交響曲ですが、その評価は作曲家によって様々でした。
日本では「のだめカンタービレ」に第1楽章の第1主題が使用されたことにより、一気に知名度が上昇しました。
ベートーヴェン自身が残した資料が他の交響曲に比べて多いため、ベートーヴェンが避けたかった書法がよくわかる一方、重視する資料によって様々な解釈の相違が見られるようです。

吹奏楽版(第1楽章)/鈴木栄一編
金管バンド版(第1楽章)/岩村雄太編
1814年交響曲第9番作曲
ベートーヴェン最後の交響曲。日本では「第九」の愛称で親しまれ、年末には全国各地で演奏される作品です。しばしば『合唱付き』などと呼ばれますが、これはベートーヴェン自身が付けた表題ではないそうです。この『合唱付き』の元になっている第4楽章は、シラーの詩『歓喜に寄す』が独唱・合唱を交えて演奏されます。ベートーヴェンがこの詩と出会ったのは22歳のころ。いつかはこの詩に曲をつけよう、と思っていたそうです。
ベートーヴェンはこの頃完全に聴力を失っており、演奏後の聴衆の熱狂的な反応に気が付くことができなかったのは有名な話。アンコールでは2度も第2楽章が演奏され、3度目のアンコールを行おうとしたところで兵に止められたという話も遺っています。

金管バンド版(第4楽章)/岩村雄太編
サクソフォン4重奏版(第4楽章)/菱田麻耶編
ホルン8重奏版(第3楽章)/吉村一哉編
1827年死去
前年肺炎を患うなどし、以降体調がすぐれなかったよう。病床の中で交響曲第10番に着手するも、未完成のまま、3月26日に亡くなりました。
葬儀には2万人が参列し、シューベルトも列席していたそうです。

もちろんここにあげた作品以外にも様々な音楽史に影響を与える作品を遺してきたベートーヴェン。
このアニバーサリーイヤーをきっかけにあなたもベートーヴェンの音楽に触れてみませんか?
そして2020年の演奏会の1曲にベートーヴェンはいかがでしょうか…?

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